2013年8月5日月曜日

唐突に「周航歌の斉唱」と言われてもそれ知りませんから。

今日は、滋賀県の学習船「うみのこ」の就航30周年記念式典と体験乗船会に、全くのプライベートモードで参加して参りました。

「うみのこ」は、琵琶湖を舞台に、県内の全小学校5年生が年間を通して順番に乗船し環境や滋賀の成り立ちを学ぶ「フローティングスクール」実施施設です。
いつも大津港で停泊しているのを見て嬉しげに眺めていますが、30年前にはすでに高校へ入っていた、しかも大阪府民→京都府民である私と「うみのこ」は縁遠いもののはずです。

しかし数年前、「手紙を書こう」プロジェクトの取り組みで、ある県内の小学校の授業を行った際に、ちょうど5年生が乗船直後ということで「うみのこ」で世話になった人々にお礼の手紙を書く、というテーマ設定だったことからこの学習船のことを初めて知りました。

その手紙の内容は、児童それぞれが感謝の対象を選び思いを伝える、というものだったのですが、予想外に多くの子どもが船長ではなく料理長を相手として、船上での食事が美味しかった、ということを表現していたのです。

そこで何度も繰り返し聞いた「うみのこカレー」を絶賛する子どもたちの声。それを京都府民のオッサンが実際に乗船し体験するチャンスがやってきたのです!

乗船者募集中という新聞記事を見てこれは逃すまい!と応募したところ、実態はよく分かりませんが見事に当選。午前中のセレモニーと講演会を経て乗船。船内の食堂でようやく辿り着いたカレーは、あの子どもたちが口々に「美味しかった」と言っていたカツカレー。

何とも期待が大きすぎたのが正直な所ですが、スパイスも程よく効いた甘口のカレーでとても美味しいものでした。普段子どもたちにはお代わりの提供もしているようですが、今日は大人の乗船会ということで無理もできません。子ども向けの量であったことだけが唯一残念ですが、一緒に食べた長男も美味しいと一皿ペロリ平らげてました。


午後の乗船航路は琵琶湖の南湖を一周するもので、幸い天気もよく、いつも見慣れた風景を別の距離感で眺めることができとても楽しかったです。

さて次のチャンスは40周年か?

2013年6月26日水曜日

Tシャツの好みは、生地の厚みや風合い、サイズ感など人ぞれぞれですから。

豆餅の出町ふたばで有名な京都の出町柳は、お金が無くても皿洗い勤務で食べさせてくれる王将があったり、京大や同志社の学生も多く暮らす、また鞍馬や貴船など洛北エリアへの交通拠点にもなっている街。

お盆には大文字が真正面に見えるスポットとして屋台が多く繰り出し大変な人出に見舞われます。私も小学生の頃は夏になると、三条京阪から市電(路面電車)に乗って、近くに住んでいた祖母のもとへ泊まりに通い、下鴨神社の御手洗祭で冷たい水に足をつけたり、特等席で送り火を眺めたり、と思い出の多いスポットです。

鯖街道の終点であり、肉のムラセ、おもちゃのイカワと懐かしい店が今も残る出町商店街には「岸本屋」という日用衣料店がいくつも店舗を構えていて、ワゴンに山積みの女性ものの下着類が子供心に刺激的だったのが印象に残っています。

さて時は変わり、世の中にインターネットが普及し、eコマースなんかに注目が集まりだした頃、全国でも先駆け的にTシャツをネット販売し著名になった店がありました。ITベンチャー企業を集積する施設「京都リサーチパーク」の開業間もない頃にテナントとして入居し始め、販売店舗を持たずネット専業で挑戦し事業に成功した、という触れ込みで、オーナーはこの世界で一躍有名人となりました。

店の名前は京都イージー。10年以上前、そんなに評判なら試しに買ってみよう、と何度かTシャツを買いましたが、商品を画面上で漁りながらホームページに書かれたうるさ目のうんちくに埋もれかけたオーナー岸本栄司さんのプロフィールに「ん?」と目が留まったのです。

「実家の日用衣料店で...」うんぬん。当時は出町がどうたらこうたら書いてはったと思います。日用衣料で岸本といえば「岸本屋ちゃいますん?」。メールでの商品受発注のやり取りにメッセージを添えると、やはりドンピシャでした。

こちらの懐かしい思いからの興奮とは裏腹に、どうやら実家を飛び出して開業したような流れらしくむにゃむにゃと言葉を濁されましたが、あの商店街からよくぞベンチャーが発生したもんだ、と感嘆したのを覚えています。

しかししかし、そんなことを思ったのはまだユニクロがヘンテコなロゴの「ユニーククロージングウェアハウス」だった時代かさらに昔。その後世界的に巨大化急成長する日用衣料企業の出現に、京都イージーはどうなったのか!全くこれっぽっちも興味は無かったのですが、先ほど調べたら事務所は移転されたようですが、まだまだご健在でした。


今後のご発展をお祈りいたします。

2013年6月19日水曜日

走ったことのない道を無くしていくこと。

なるほどサイクリングロードなんて便利なものがあって、その上を走っていれば簡単にゴール地点には到達するようにできている。
だいたいは河川敷、堤防の上を丁寧に舗装したもので自動車が進入する恐れもなく快適に、疲れさえ知らなければノンストップで走り抜けることはできる。

そんな道をストイックに、一定のケイデンスを維持しながらとか、どこまでスピードを上げられるかとか、考えながら疾走するわけですが、一体それが何なんだ?と、もし聞かれたら、ダイエットのための運動ですよ、としか答えようはなく。
確かに軽いジョギングに比べるとサイクリングでのカロリー消費はその結果にかなり期待できる。
走り終えてすぐに体重計に乗って驚くこと必至ですね。

比較ついでで言うと、ランで痛めがちな膝を痛めない代わりにお尻と言うか股ぐらが痛くなるんですがね。
あと疲労の加減はそんなに変わらない。
しかし多分、何らかの事故が起きた時のダメージは数倍大きかろう、とは想像がつく。
転倒、衝突、その他...。
だからヘルメットは被るわけだけど、ボディに関してはほぼ無防備状態です。

それとリスクといえば、パンクの恐怖。怖い訳じゃないけどタイヤの劣化は必然として進む訳で、パンクチャーのタイミングはそのうち絶対やってくる、きっとくる、いつかくるのが分かってるだけに「やだなあ」という思いはずっと抱えなくちゃならない。補修のキットとスキルは備えた上でも、予知できないだけにやっぱり嫌なもんだ。

そんなモヤモヤッとした思いとともに、走る。
そのうち近所のサイクリングロードは制覇する。
新しい、知らない道を求めて地図を眺めるか、いつもの道から外れて何か目的を設定するか。
体力勝負だけじゃなく、いかに五感を駆使するか。
また方向感覚や距離と時間の感覚、天候や風の移り行く先を読む力なんてのを開発して。

そういう楽しみ方を一つ一つ経験として重ねて、走ったことのない道を無くしていって。
人間というものは成長するんだろうな、という話。

2013年5月31日金曜日

好き嫌いしちゃだめだよ。好き嫌いしちゃ。

すき焼きの、最初の儀式は温めた鉄鍋に牛肉の脂身を染み付けることだが、この脂の塊を、用途を終えそのまますき焼きの中でグツグツと煮えたものを食べるのが子どもの頃大好きだった。

家ですき焼きをするたびに、兄と奪い合うようにして美味い美味いと食べたものだが、所詮それはアブラのカタマリだ。ある時、胸焼けして気分を悪くし、〇〇してしまった。
それから何年もの間「肉の脂」が嫌いになり、食べられない時期が続いた。

同じようなきっかけでマグロの刺身がダメになったり、王将の餃子を見る気もしなかったり、そんな紆余曲折があって大人になったが、いつの間にか記憶からの嫌悪が薄まり、それぞれを平気で食べられるようにはなった。

むしろどれも、もともとは好きで好きでしょうがなくて、馬鹿みたいに食べ過ぎて悪い結果を生じる、という対象だから時が経てば「やっぱり好き」とある程度には復活するもんだ、と思う。

だけれどもただ一つ、鶏肉の皮、それも揚げたり焼いたりしたものじゃなくて、柔らかく煮えたような状態のものだけは未だに量を食べられない。

ただ、「食べられないものありますか」と尋ねられてこれを説明するほど、嫌いという訳でもない。進んで食べようとは思わない、というレベルではあるが、なぜか子どもの頃からそのレベルは改善しない。

その嫌悪の源泉が、先述の「脂身」「マグロ」のような経験上のものでないのが不思議なのだが、世の中にはアレルギーなどではなく鶏肉が食べられない人はたくさんいる。得てしてそう言う人は、あの皮の、文字通りの「鳥肌」のテクスチャを受け入れられないという。

揚げたり焼いたりするとそのテクスチャも、押し付けられたり衣が着いたりして凹凸が失せる。しかし煮た場合には膨張し、凹凸が強調されることもあろう。

なるほど私もせいぜい「鶏肉嫌い」の端くれぐらいに、境界線にかするかかすらないかという程度に属しているんだろうな、とは思う。