2014年3月19日水曜日

大事に温存してきた楽器群が子ども部屋確保のための断捨離リストの筆頭に上がりそうになったところで黙考(長い)

今、音楽もそうだが、楽器が売れない時代だという。ダメだこりゃ、と、早く方針を切り替えられた楽器メーカーは、こぞってスマホやタブレットのアプリ開発に勤しんでいる。とはいえユーザの大半は、もともと楽器を使っていた人たちだろう。創作の敷居を下げ、アーティスト活動の裾野を広げるに至るかは、楽器業界だけの取り組みではなかなか難しいと思う。

そもそもティーンエイジャーたちは音楽をどのように聴いてきたのか。そこに思いを馳せると、新譜情報を目敏く収集しながらレコード店に通い詰め、ジャンルや世代など縦横にリスニングの幅を広げながらコレクションを増やしていく、みたいな楽しみ方を、もう今は誰もしていないんだと気付く。

技術は進んだから、ふと耳にしてイイ!と思った曲をササッと検索して次の瞬間にはフルコーラス聴くことができる、みたいな時代ではあるけど、そのアーティストの曲それ1曲しか持ってないとか。そんな刹那的な音楽との付き合いの中で、他にない音楽を自分で作るとか、多くの人たちには想像もできないだろう。

昔から言われる、人間の可聴域の中にある音階の、条件的に限られた組み合わせが楽曲だとすると、新しい楽曲はいずれ既成のものと似ざるを得なくなる、だから演歌や民謡は皆同じに聴こえる、みたいな屁理屈の証明より早く、70年代、80年代、と業界を上げてリバイバルと模倣を繰り返すうちに作る側でも聴く側でも「音楽の効用」たるものが飽和しちゃったんじゃないか、という気がする。

テレビで耳にする番組や商品とのタイアップ曲も、昔はCMやドラマのクリエイターの選曲センスに「よくこんなの知ってるよな」と唸らされたものだけど、今は、事務所の売り込みの力加減の結果でしかない。日本に主役をとれる俳優は10人しかおらんのか、というぐらいいつも同じ顔ぶれになる映画やドラマの出演者と同じで、安全安心なリストで臨まなければ企画は通らないのだろう。誰も知らない草の根の才能を掘り起こし、育てていこうなんてもうマスの世界では無理なのかもしれない。

新聞を読まない世代は、もはやお金を払って音楽なんて聞かない。無償であるテレビさえも見ない。寝ても覚めてもスマホを離さず、LINEとパズドラの合い間にYouTubeで動画と音楽である。こんな図とて半年後にはどうなってるか、誰も分からない。

画面をヌメヌメと撫で回し続けて、人類の右手の指の骨格や形状がどう進化するかはある意味楽しみだが、その結果を私は多分知ることはできない。 まあ、入力装置としてはもうパソコンのキーボードが近いうちなくなるだろな、ぐらいの想像はつくんですけどねえ。「まだそんなのパチパチ叩いてるんですか!うるさいっすよ!」とか、(上司かもしれない)若い社員に突っ込まれるんだろなあ。