2015年2月10日火曜日

雪が降るまえに。

家の模様替えをするのを機会に、生まれて初めてブックオフへ本を売りに行った。

散々ため込んでいたわけではなく、都度読まないものから捨てていたので、クルマから二人の手で二往復分ぐらいを運ぶ量だけだ。

売るのはいいけど買うものは何もない店頭で時間をつぶしつつ20分待った査定の結果は、さして驚くものでもなく、レシートを見ると文庫は10円、20円、高くて50円。

美麗な新訳カラマーゾフの兄弟5巻セットは定価から考えて安すぎないか?売るのやめるべきだったか?という以外、書籍でも、サンデル本のようなベストセラーやマニアックなもの、某元新聞記者によるITネタ本の類は買い叩かれ、生活に直結する実用書は高値が付くという傾向が読めた。

全部で8000円ほどにはなったが、重たい思いをしたお駄賃にしては良すぎるか。なかでも一冊だけ意外な値段をつけていたのは、タルコフスキーのお父さんの詩集「雪が降るまえに」。といっても定価の4分の1だったけど。3年前の出版で、まだ絶版にもなっていない本だから、映画好きの中でそれなりに需要はあるのかな。

でも、この本の良さに気付けなかった自分は、ひょっとしてタルコフスキーの映画の本質を理解していないのではないか、と思えてきた。

上っ面しかとらえていないことを自覚していながら読まなきゃいけないと思っている本の類は大事に本棚に並べている。

それよりもまずはタルコフスキー作品を見直すことから始めたいけれども、そんな時間が持てる日がくるのかなあ。

2015年2月6日金曜日

器用貧乏という存在には大いに共感できるという悲しさ

ある行きつけの画廊に寄って久しぶりに顔を合わせた主人と話していたら「ぜひこれを見に行って」とお薦めされ、別の画廊で開催中の、とある平面作家の個展を覗いた。

到着すると、通りに面してウィンドウ越しに架かっている小ぶりな作品から既に半端なく完成度が高い。期待度を高めつつ室内に入ると正面には壁面一杯の大作がドドンと出迎える。大味になりそうなサイズなのに細部の緻密な描写までしっかりできていて、デッサン力のみでなく画材を使った表現力の確かさにいきなり驚かされる。

期待以上の出会いに圧倒されつつフロアを見回すと、表に出ていた作品の連作が狭いコーナーにずらずらっと10点ほど並び、描いた対象物はそれぞれ違えどもどれも手抜きがなく圧倒的に「できがいい」作品ばかりだ。連作としての一貫性もあり、これだけで一つの展覧会ができると思わせる。

別室へ進むと先ほどとはまた別の画風、違う対象を描いた大作が待っていた。今度は繊細さよりもダイナミックなモデルの動きを太い線や構図、画材の組み合わせで表現した作品だ。その絵を前に、同じ絵描きのような先客が「これはすごい」と唸っている。その背面には、生きるものの儚さを表現するかのような、また違う表現の作品があったり、ひたすらデッサンを丁寧に活かし彩色バランスも美しい四季の作品も飾られている。

ここまで見て気づく。恐ろしいほどスキルの高い画家だ。何をさせても卒なく仕上げている。素人目ではあるが、あらゆる技法に貪欲に挑戦し、しかも隙の無いところまで完成させる才能には、今まで出会ったことがないかもしれない。

ただ、どの作品も出来がよく真面目に取り組まれた成果であることはわかるのだが、作家の像が全く見えてこない。

これでもかこれでもか、と作家の懐をすべて見せてもらい、万能、優秀であることはよく分かったのだけれども、技術と完成度以外に評価すべき点が見えてこない。

何年も個展などで追っている若い作家の絵からは、その着実な成長ぶりが見えたり、逆に相変わらず苦しんでいる様が伺えたりするものだ。今回見た作家と同世代であっても、画業と生活の両立などに切実に悩む様子も見えたりして心配になることもある。

そして、そんな悩みや苦しみを画面に精一杯ぶつけた作品からこそ、たとえそれが中途半端な仕上がりであったとしても、得られる共感、感動が大きいのではないか。支えてやろう、応援してあげよう、という気持ちから、パトロンとなってずっとフォローしていくというような、投機目的とは別の仕組みが、この世界には脈々とあるんじゃないだろうかと思う。

画廊に居合わせた、「何でもできる」作家本人がやけに自信たっぷりだったのが、一般的な世間での評価の高さ故なのか、ビジネスとしての画業の成功があってのことなのかは分からない。しかし、その自信が裏目に出るぐらいの挫折や壁にぶち当たる経験がなければ、あるいは既にあったとしてもそれを表現できなければ、本当の彼の絵が描ける日は来ないんじゃないのか。

今度はそれが心配になってきたので、しばらくこの作家をフォローしてみようと思う。