2013年5月31日金曜日

好き嫌いしちゃだめだよ。好き嫌いしちゃ。

すき焼きの、最初の儀式は温めた鉄鍋に牛肉の脂身を染み付けることだが、この脂の塊を、用途を終えそのまますき焼きの中でグツグツと煮えたものを食べるのが子どもの頃大好きだった。

家ですき焼きをするたびに、兄と奪い合うようにして美味い美味いと食べたものだが、所詮それはアブラのカタマリだ。ある時、胸焼けして気分を悪くし、〇〇してしまった。
それから何年もの間「肉の脂」が嫌いになり、食べられない時期が続いた。

同じようなきっかけでマグロの刺身がダメになったり、王将の餃子を見る気もしなかったり、そんな紆余曲折があって大人になったが、いつの間にか記憶からの嫌悪が薄まり、それぞれを平気で食べられるようにはなった。

むしろどれも、もともとは好きで好きでしょうがなくて、馬鹿みたいに食べ過ぎて悪い結果を生じる、という対象だから時が経てば「やっぱり好き」とある程度には復活するもんだ、と思う。

だけれどもただ一つ、鶏肉の皮、それも揚げたり焼いたりしたものじゃなくて、柔らかく煮えたような状態のものだけは未だに量を食べられない。

ただ、「食べられないものありますか」と尋ねられてこれを説明するほど、嫌いという訳でもない。進んで食べようとは思わない、というレベルではあるが、なぜか子どもの頃からそのレベルは改善しない。

その嫌悪の源泉が、先述の「脂身」「マグロ」のような経験上のものでないのが不思議なのだが、世の中にはアレルギーなどではなく鶏肉が食べられない人はたくさんいる。得てしてそう言う人は、あの皮の、文字通りの「鳥肌」のテクスチャを受け入れられないという。

揚げたり焼いたりするとそのテクスチャも、押し付けられたり衣が着いたりして凹凸が失せる。しかし煮た場合には膨張し、凹凸が強調されることもあろう。

なるほど私もせいぜい「鶏肉嫌い」の端くれぐらいに、境界線にかするかかすらないかという程度に属しているんだろうな、とは思う。