2011年5月15日日曜日

「日本画」ならではの楽しみが、歴然とある。

京都を中心として発展してきた焼物や染物などの工芸の分野において、その創作過程には、日本人の自然観などを写す表現法が取り入れられてきた。また、「日本画」が時代とともに移り変わってきたのと同様に、工芸の分野でも、その時代ごとに新たな表現方法を求める動きがあった。

破壊や淘汰から新たな創造、また継承。その繰り返しによって、現代の美術や工芸作品は生まれたものだ。そして日本では、いつの時代にも「日本画」が、それら表現活動全般の、もっともプリミティブな位相で、時代を飲み込み、消化してきた。

ここで消化された事象がまた、次の時代や違う分野の表現活動の発展に寄与していくのだろう。

昨今耳にすることの多い「日本画とは何か」ということへの戸惑いは、著名な日本画家の口からも発せられている。実際に「日本画」の展覧会場でも、来場者が作品を前に首をかしげたり、「これも日本画なの?」と質問される場面が見られる。

それはそれぞれが思う「日本画とは」を期待して来場した愛好家に限らず、「日本画を学んだ」、「日本画を教える」あるいは「日本画家と呼ばれる」作家の中にも同じように存在する戸惑いだろうと思う。

いろいろな戸惑いを包含するこの世界では、その時代や人それぞれの戸惑いを表現することもまた一つの方法であり、その表現にはいろいろな方法があるということを、総体として知らしめることがまた「日本画」の役割の一つかもしれない。

それは、美術や絵画といった大きな時空間の中ではなかなか発見できず、そこに「日本画」という枠組み=フィルターをあえて設けることで初めて浮かび上がってくる、「日本画」でなければ得られない楽しみの一つなのだ。